新垣ヌカー
 『那覇市の文化財1989』那覇市教育委員会よりp102

首里金城町石畳道の南端(金城橋)から北へ約120mほど坂を登った所の左手道端に位置する共同井戸である。

王朝時代末期、もとこの井戸のある屋敷の主であった新垣恒佳氏が男の子の誕生を祈って私財を投じ、道に面する屋敷の一角に地下タンク(現在の井戸)を掘り、屋敷内の奥の井戸から泉水を導き入れて地域の人々の飲料に寄与したと伝えられている。

構造は屋敷の東南隅をL字型に削り、長方形に掘り下げて地下タンクを造り、そこへ屋敷奥の井戸から地下水路を造って泉水を導入してある。井戸の端から深さ約2.5mの石壁に四角の吐水口が設けられ、送水路を通ってくる水が流れ出している。水源となっている屋敷奥の井戸は埋められ、その後には井戸神を祀る香炉がそのまま残されている。

このように一篤志家が私財を投じて公共福祉のために掘った井戸であり、地下水路を設けて泉水を導き入れた特色ある井戸である。

『那覇市の文化財1989』那覇市教育委員会よりp102